表面的な人に見える
もしくは「本質がわかってない」
たまに言われる
理由は1つ
本心を言っていないから
相手が嘘を付くと全く想定しない善良な人々からすると、そう見えてしまう
本心を言ってない場合もあるが言えない場合もある
どちらの場合にせよ、
その理由は場にそぐわない目的があるからだ。
くだらないから早く切り抜けたいとか、
及第点を見定めて、それに収まる範囲でやっつけ仕事してるとか企業の倫理感から外れた自分の成果だけを求めた考え方などがそうだ。
くだらないと見切ってテキトーこいてるなと察して合わせてくれる人は良い人だが誠意のなさも含めて過敏に反応してマジレスしてくる人はめんどくさい。
テキトーこいてる、むしろ小馬鹿にしてるとわかってマジレスしまくってくる人も多い。
その場に適度に合わせられないオレがダメなのだが、30過ぎて自分の長所と短所を見つめ直してワークシートにまとめるとか、元気に明るく自己紹介動画を撮るとかマジ勘弁してくれよ。そんなの真面目にやるわけないだろ。
一応こなさないといけない課題だから早急に出すけど、そしたらスピード感◎、でも本質がわからず表面的な浅い仕事を場当たり的にしているのがバツという評価をたまにされる。
そんな場所にいるオレが悪いのが真理だが、
そんな自分と環境に対してせめてもの抵抗は欠かさずしてるんだよな。
その辺が本質的な性格の短所なんだろうが、
実は幼稚園の頃から同じ考え方なんだわ。
上の人から管理されて上の人の思い通りの言動をこしらえるのが我慢できない。
お遊戯会で「決められたタイミングでジャンプして、しゃがんで、踊りましょう」みたいな「大人が決めた大人の望み通りの動きをしたら褒められる」というイベントの練習をオレは拒否している。
「本質を見失いがちな独りよがり」というのは言われてる意味では外れだが当たっている。
「自分の親や先生に体を使って成長を伝える」という本質は分かるのだが、それをしないことで「本質がわからない独りよがりのやつ」という見られ方をする。
それに加えて、もう一つの価値観がオレを「本質が見えない独りよがりの人」にしてしまう。
多くの人が想像もしないことが、客観的にどう見られても別に大丈夫な人だということだ笑
大学の頃は就活前に度胸付けのために200人いる教室で授業が終わる5分前に1人立ち上がって出席カードを出して帰るということをして教授から「客観的にどう見えるかを学びなさい!」とか怒られたこともあった。
後付けの言い訳じゃなくて本当にその目的があってしたことなんだ笑
だから独りよがりなのは本当だと思うぜ。
一見、場を盛り上げる目立ちたがりなリーダータイプに見られがちだが実は自分の価値観を持ってる一匹狼タイプという新庄と同じだな。
オレの主張は3つ!!
まず、人からどう思われようが見られようが何とも思わない人だということ!
また、人からどう見えているかはわかっているので客先とかではTPOに応じた立ち振る舞いをするということ!
そして、本質は見えているということ!
本質は結果だよ。だから数字に現れる。
本質が見えた上で反抗してるんだよ!!